
育児に「ビジョナリー・カンパニー」を使ってみたら──仕事の名著を、いちばん大事な現場で活かすということ
育児でいちばん疲れるのは、泣かれることでも、言うことを聞かないことでもない。
「この対応でよかったのか?」と、あとから何度も考えてしまうことだ。
叱るべきだったのか。待つべきだったのか。
仕事では判断軸を大事にしているのに、家庭ではなぜ、すべてが感情任せになるのか。
その違和感を整理するヒントが、『ビジョナリーカンパニー』にあった。
思っている以上に育児は「判断の連続」だ
朝、眠すぎて余裕がなかった日。「遊ぼう」と言ってきた長男を、つい邪険にしてしまったことがある。
声を荒げたわけでもない。怒鳴ったわけでもない。ただ、「あとでね」と、少し強めに言っただけ。
でも、その一言で、子どもの表情がすっと曇ったのが分かった。
あとから振り返ると、あのとき自分は「判断」をしていたのか、それともただの反射だったのか、分からなくなる。
育児は、
叱るか/叱らないか
見守るか/介入するか
今言うか/あとで言うか
そんな小さな判断の積み重ねでできている。
そしてその判断を、毎回その場の感情に委ねるのは、かなり消耗する。
ビジョナリー・カンパニーから「使えそうだ」と思ったこと
この本を「育児に使おう」と思って読んだわけではない。
ただ、仕事の文脈で学んできた
・理念
・判断軸
・仕組み
といった考え方が、育児の場面でも、そのまま当てはまるのではないかと感じた。
特に引っかかったのが、この本の有名な言葉だ。
時を告げるのではなく、時計をつくれ
育児こそ「時を告げる」より「時計をつくる」
育児では、どうしても「今どうするか」に意識が向く。
泣いたらどうするか
言うことを聞かないときどうするか
失敗したときどう声をかけるか
これは全部、「時を告げる」行為だ。
一方で、「時計をつくる」とは何か。
それは、その場で考えなくていい状態を、先につくっておくことだと思う。
たとえば、
- どんなときに叱るのか
- どこまでは子どもに任せるのか
- 親が感情的になったとき、どう立て直すのか
こうしたことを、その都度考えるのではなく、あらかじめ決めておく。
完璧じゃなくていい。間違っていてもいい。
でも、「迷ったらここに戻る」という基準があるだけで、判断の負荷は大きく下がる。
それが、家庭における「時計」なのだと思う。
戦略は変わらない。変わるのは戦術だ
ビジョナリー・カンパニーの中で一貫して語られているのは、
- 基本理念は変えない
- その実現方法は、柔軟に変える
という姿勢だ。
これは、育児にもそのまま当てはまる。
「どんな子に育てたいか」という理念や方向性は、そう簡単に変わるものではない。
一方で、
- 声かけの仕方
- 関わり方
- ルールの細部
こうした戦術は、いくらでも変えていい。
戦略(=理念)まで揺らしてしまうと、親自身が迷子になる。
でも、戦術を柔軟に変えられると、「今日はうまくいかなかった」を次に活かせる。
OR思考が、育児を苦しくする本当の理由
ビジョナリー・カンパニーが否定している「OR」の思考は、単に「どっちかを選ぶ」という話ではない。
人は、複雑な状況に直面すると、無意識に世界を単純化する。それがOR思考の正体だ。
危険か、安全か。
正しいか、間違っているか。
やるべきか、やらないべきか。
これは、生き延びるためには合理的な仕組みだった。瞬時に判断しなければならない状況では、二項対立は強力な武器になる。
でも、育児は違う。
育児は、正解がひとつに定まらない。状況も、相手も、感情も、常に揺れ動いている。
その複雑さに耐えきれなくなったとき、人はORに逃げる。
「なんでできなかったの?」は、思考の圧縮だった
トイトレがうまくいかなかったとき、思わず口にしてしまった。
「なんでできなかったの?」
これは、叱りたかったからでも、責めたかったからでもない。
状況が複雑すぎて、頭が処理しきれなかった。
・失敗した事実
・本人の気持ち
・親の焦り
・時間の制約
・この先どうしたいか
それらを一度に抱えきれず、「できた/できなかった」という一番わかりやすい軸に、無意識に押し込めてしまった。
これがOR思考だ。
怒るか、甘やかすか、ではない
よく育児では、
叱るべきか/見守るべきか
やさしくするか/厳しくするか
という二択が語られる。でもこれは、現実を正確に切り取っていない。
本当は、親の中には同時に複数の感情がある。
- 失敗しても責めたくない
- でも、大事なことは伝えたい
- 今は守りたい
- でも、次につなげたい
問題は「どちらを選ぶか」ではなく、その複雑さを抱えたまま考えられるかどうかだ。
OR思考は、その複雑さを一度切り捨ててしまう。
AND思考は、切り捨てずに、持ち続ける。
AND思考は「優しさ」ではなく「設計」
ここで言うANDは、「どっちも叶えようとする理想論」ではない。
むしろ逆だ。
- やさしくしたい
AND - 伝えるべきことは伝える
この二つを同時に成立させるために、どう設計すればいいかを考える思考だ。
たとえば、
「今日は失敗しちゃったね」
「でも、次はどうしようか」
これは甘やかしでも、厳しさでもない。複雑さを、そのまま言葉にしただけだ。
AND思考とは、答えを出すことではなく、複数の要素を同時に扱う覚悟を持つことなのだと思う。
ORをやめると、親の疲れ方が変わる
ORで考えているとき、親は常に「正解を選ばなければならない」。
だから疲れる。
ANDで考えるようになると、「正解を当てる」必要がなくなる。
代わりに、
- いま何が起きているか
- 何を大事にしたいか
- 今日はどこまでやるか
を、そのまま扱える。
それだけで、怒りの質が変わる。後悔の残り方も変わる。
家庭版「基本理念」を持つということ
ビジョナリー・カンパニーが語る基本理念は、戦略や方針よりも先に置かれる、企業にとっての憲法のような存在だ。
家庭でも、同じようなものがあっていい。
わが家の場合は、こんな感じだ。
- 子どもを恐怖で動かさない
- 親が感情をぶつけたら、あとで言い直す
- 子どもをコントロールしようとしない
正しいかどうかは分からない。でも、迷ったときに戻る場所にはなる。
朝、邪険にしてしまった出来事をどう捉えるか
あの朝の出来事――「あとからちゃんと遊ぼうね」と言っってしまった朝も、「時計が狂った」と片づけたいわけじゃない。
子どもにとっては、その瞬間がすべてだ。
だからこそ、しっかり謝ってあとでちゃんと向き合う。もちろんそういうことを起こさないことが大事ではあるが、いつでも完璧でいられるはずがない。
「さっきは余裕がなくて、ちゃんと聞けなかった」「本当は話したかった」
そう言い直すことも、家庭の仕組みの一部だと思っている。
理念は、家庭を縛る道具にもなる
この本が教えてくれるのは、理念の力だけじゃない。
理念は、ときに人を縛る。
「うちはこうだから」
「理念に反するから」
そう言い始めた瞬間、家庭は一気に息苦しくなる。
理念は、振りかざすものじゃない。立ち返るためのものだ。
合わなくなったら、やり方は変えていい。
仕事の名著を、いちばん大事な現場で使う
この本は、育児書ではない。
でも、
- 判断を減らす
- 感情の消耗を減らす
- 親がすべてを背負わない
そのための考え方は、確実にくれる。
仕事で学んだことを、仕事だけで終わらせるのはもったいない。
家庭こそ、いちばん続いてほしい組織だから。
ビジョナリー・カンパニーは、こんな人に向いている
- 育児の正解探しに、少し疲れた人
- 「ちゃんと考えているのに迷う」人
- その場しのぎをやめたい人
すぐ使えるテクニックを求める人には、向かない。
でも、考え続けたい人には、何度も戻ってくる一冊になる。
せっかく読んだ名著なら、仕事だけじゃなく、暮らしにも使ってみてもいいと思う。
この記事へのコメントはありません。