
『成功はゴミ箱の中に』から考える、遅咲きの子どもを信じきるということ
※関連リンク:叱る・待つ・見守るに迷ったときの「判断の基準」を、別記事にまとめています。
マクドナルドを世界的チェーンに育てたレイ・クロックは、いわゆる「早く成功した人」ではありません。
もちろん、幼少期より類まれな才能を有しているようでしたが、むしろ人生を振り返ると、失敗や転職、回り道が続いているように見えます。
それでも彼の自伝『成功はゴミ箱の中に』には、子ども時代の話が何度も出てきます。しかも驚くほど丁寧に。
成功談だけを書けばよかったはずなのに、なぜ彼はそこに何度も戻るのか。
親の視点で読み直すと、この本はビジネス書というより、「成功までの時間をどう扱っていたか」の記録に見えてきました。
なぜレイ・クロックは、子ども時代の話を何度も書いたのか
読んでいて何度も引っかかるのは、「このエピソードは成功と直接関係があるのか?」と思うような幼少期の話が繰り返し出てくることです。
何に違和感を持っていたか。
周囲にどう見られていたか。
まだ形になっていない時間を書き記している。
自叙伝としての目的もありますが、「成功はもっと前から始まっていた」という感覚があったからなのかもしれないと私は考えました。
「最初に信じてくれた人」をよく覚えている
レイ・クロックが大きな成功をおさめたのは50代だと言われています。
それまでの人生には、うまくいっていない時間も短くありません。
だからこそ、彼の中には強烈に残っているものがあるのだと思いました。
「まだ何者でもなかった自分」を、決めつけきらなかった大人たちの記憶です。とくに親。
褒められ続けたわけではない。期待をかけられ続けたわけでもない。
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「お前はダメだ」と決めつけられなかった
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「今うまくいってない=才能がない」と断定されなかった
この断定されなかったことこそ、親が子を信じる力であり、後々の成功における自分を信じる力にも繋がっているように思えます。
親として読むと、ここは軽い話ではないなあと感じいます。
レイ・クロックは、子どものころから「完成しない人」だった
レイ・クロックの人生を親目線で並べると、正直、不安になります。
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職を転々とする
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遠回りばかりしているように見える
でも、ここで私が気になったのは別の点でした。
「落ち着かない人」のまま、途中で固定されなかったことが大きかったように思えます。
「このタイプだろう」「この程度だろう」「ここまでだな」
そうやって途中で確定されすぎなかった。
未完成のまま、中途半端なまま、ずっと「途中」を生きられた。この余白が、本人を救っていたのかもしれません。
才能を急いで「評価」しなかったこと
ここで言いたいのは、「放任がいい」とか「何もしないのが正解」という話ではありません。
私がこの本から受け取ったのは、むしろ逆で、才能を急いで評価しないという姿勢でした。
評価はときに前向きに断定することでもあります。
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期待すること
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可能性を語ること
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未来を先取りすること
一方、それは同時に負荷にもなる。
「こうなるはず」「こうであってほしい」が増えるほど、途中が苦しくなることがあります。
レイ・クロックの幼少期には、「お前は特別だ」という物語が強く与えられていないように見えます。
だからこそ、
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特別になろうと焦らなかった
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途中で投げても、自分を否定しすぎなかった
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遠回りを“失敗”として確定させずに済んだ
才能は、磨かれることで育つこともあるけれど、急いで定義されなかったことで残る場合もある。そんな読み方もできる気がしました。
遅咲きを信じる、ということ
「信じる」という言葉は、温かく聞こえます。でも実際は、わりと不安で、覚悟のいる行為です。
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目に見える成果が出ない
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周囲と比べて遅れているように見える
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このままで大丈夫なのか分からない
それでも、「まだ途中だ」と扱い続けられるか。『成功はゴミ箱の中に』は、私にはそう問いかけてくる本でした。
レイ・クロックの人生は、「才能をどう活かすか」より、芽が出るまでの時間を、どれだけ許されたかの記録にも見えます。
親としてできることは、何かを早く咲かせることだけじゃない。咲く前に、引き抜かない。少なくとも私は、この本を読んでそう思うようになりました。
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